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2006年3月24日

「電気用品安全法によって消え逝く危険性があるもの展」a.k.a「電気用品安全法によって消え逝く危険性があったもの展」

Engadget Japanの記事で知って転載。

NANZUKA UNDERGROUND内のこの展示のページ

しっかし、経産省の役人はこんな大騒動になるとは当初思ってなかったんだろうな。つまり物を知らないというかわかってない訳で。で、「おれたち超優秀な役人が天下国家のことをよーく考えて作った制度だから、てめーらおとなしく従え。おれたち超優秀だから、おれたちのやることに間違いはないの!」とばかりに強硬な態度を取るも、反対運動の中に坂本龍一とか世界的にリスペクトされてる(=権威ある)人物が現れると、ビンテージものの電子楽器の販売を認めるとか、いかにも腐れ役人が考えそうな姑息な懐柔策に出て、そしたら「こんなんで懐柔されっかよ!」と一蹴され(参照)。

経産省の腐れ役人ども、おまえらかっこ悪すぎて笑えます(プゲラ

で、さらに恥の上塗りを繰り返している模様
電気用品安全法で経産省方針 89年製造まで「ビンテージ」

なんつーか、基本的に文化てもんがわかってないんだな・・・大体、限定列挙とか不可能ってことを悟れ。テクノロジーと文化なりアートってのは有史以来深い深〜い関係があるんだよ。テクノロジーの産物には、どんなものであれ、芸術性が宿ったり、そのプラットホームになる可能性がある。

例えば「例外扱い」の中にゲーム機とか入ってないし。
君たち『スーパマリオ』の宮本茂がシュバリエ賞取ったの知ってる?

2005年11月 8日

『杉本博司 時間の終わり』展

もう2週間ちょっと前になるけど森アート・ミュージアムで開催中の『杉本博司 時間の終わり』展(公式サイト)に行ってきた。

入場して最初に目にするのは、東京大学に保存されているという、関数を立体的に視覚化した明治時代の数学教育用の石膏模型を撮影した一連のモノクロ・プリントだ。割と最近の作品らしく、ウェブや印刷物を含めて今まで見たことがない。「いまどき関数を視覚化したいんならCGの方がてっとり早いし、正確だろう。なんで傷の目立つ古い石工模型をウェストン風のもったいぶったライティングで撮影してモノクロ・プリントなんか作ってんだよ」などと考えながら順に作品を見ていたおれは、すでに杉本の術中にはまっていた。その次に置かれていたのは、コンピューター制御の最新の工作機械によってアルミ円柱を切削加工して作った、二種類の関数の立体モデルであった。「やられた!」・・・気がついたらおれは時空間と認知と文明を巡る思考の海に突き落とされていたのだった。

2005年11月 6日

横浜トリエンナーレ2005

行ってきた。あいにくの空模様。しかも会場は埠頭のため、潮風が冷たく、家を出たときの格好では少々寒かった。しかし、学園祭ぽい雰囲気が楽しかった。靴を脱いで入るインスタレーションが多いので、脱ぎ履きしやすい靴で行くのがおすすめ。

天井を這うクモ男には度肝を抜かれた。

2005年9月28日

横浜トリエンナーレ、今日から開催

なんだけど、アクセス集中のためか公式サイトエラー出まくりなんですけど・・・

2005年6月 9日

In-between

In-between

EU憲法はコケたけれど(笑)、EUをテーマにした写真集シリーズが発売になる。選ばれた13人の写真家たちはちょっとありえないオールスター。尾仲浩二、野口里佳、etc..大好きな人ばっかりだ。小野博って人は以前東京国立近代美術館で開催された企画展「」で見て以来とても気になってる。

2005年6月 1日

『ブラック・レイン』、松田優作、シンディ・シャーマン

blackrain.jpgリドリー・スコットの映画人としてのキャリアは特異である。彼は1979年の『エイリアン』(goo映画)、1982年の『ブレードランナー』(goo映画)という2つの不朽の名作をたて続けに世に送り出し、映画監督としての名声を一旦は確立した後、長い低迷時代に入ってしまい、微妙な作品を撮り続けた。しかし2000年の『ハンニバル』(goo映画)でいきなり復活(*)。同年の『グラディエーター』(goo映画)はアカデミー作品賞に輝いた。2001年の『ブラックホーク・ダウン』(goo映画)も冴えた傑作である(これがリドリー・スコットのこれまでの最高傑作かもしれないとさえ個人的には思っている)。そして今現在は『キングダム・オブ・ヘブン』(goo映画)が大ヒット上映中(これは近日中に観に行きたいと思っている)。

内田樹の研究室: 松田優作と『ひよこどん』

この記事の前半で取り上げられてる『ブラック・レイン』(goo映画)は変な言い方だけどリドリー・スコットの「低迷時代の代表作」である。日本が舞台だし松田優作や高倉健が出演してるから日本では話題になったけれど、よくある「奇妙な果実」系映画で終わっていて駄作である。しかしここで紹介されている松田優作の演技に対する加藤典洋の解釈はおもしろいと思った。まあリドリー・スコットの「公案」に応えてのことだったのかどうかは謎だが。

定型的なふるまいを微妙に過剰にすることによって、その定型を「ナチュラルなもの」として看過している人々の「紋切り型性」=イデオロギー的な被制性を逆照射してみせること。

これはおもしろい視点だ。これを意識的に武器として使いこなして成功した代表例は(映画から離れるが)シンディ・シャーマンの『アンタイトルド・フィルム・スチルズ』(MOMAのページ)だろう。この作品はどこかで見たような映画のワンシーンをシンディ・シャーマン自身が演じた「ニセ・スチル写真」の連作である。この作品の中でシンディ・シャーマンは映画に見られる紋切り型の女性像をやや過剰に自演することによってまさに女性像の「イデオロギー的な被制性」を「逆照射」することに成功した。

仮に、松田優作が『ブラック・レイン』において、シンディ・シャーマンがとったのと同等の戦法によって、何かを表現しようとしたとすると、それはなんだったのだろうか?ハリウッド映画が潜在的(いや顕在的?)に持つ異文化に対する傲慢さかな?だとすると『ブラック・レイン』はそうしたメタ・レベルの批評性が仕組まれた、『エレファント・マン』(goo映画)あたりと並ぶ傑作ということになるけど、残念ながら当時のリドリー・スコットにそんな意図は無く、松田優作のゲリラ活動に終わった(で不発)というのがおれのbet。


*)というのは一般的な世の中の評価に基づいて。実はこの映画、当時相当な話題作であり、しかも好きな監督の作品であるのも関わらず、おれは観てないのだ。なぜかというと、おれはグロがだめなんで食人鬼の話なんか怖くて観れないんですよ^^;; まわりのひとに聞くと、そんなでも無いって言うんで、そのうちDVDで観てみようと思ってます。

2005年5月15日

Variations on a Silence - リサイクル工場の現代芸術

昨日見に行った展示↓

(公式サイト)

(アート遊覧の紹介記事)


東京湾の人工島に建造された新しいリサイクル工場で行われている操業開始前の期間限定イベントである。場所がちょっとわかりにくかったけど、着いてみるととてもかっこいい工場だった。

リサイクル工場といえば、一年ちょい前のことになるけど、富士フィルムの写ルンですリサイクル工場を見学に行ったことがある。無数の使用済み写ルンですのパーツをキューブ状に固めた物体に美的衝撃を受けた記憶がある。たぶん富士フィルムの広報の方にはそんな意図は無かったんだろうけど。

リサイクルということに対する人類文明の依存度がこれからますます高まっていくであろう事に思いを馳せると、これが多くのアーティストにインスピレーションを与えて行くであろうことは明らかである。で、今回のイベントではリサイクルということが全面的にテーマとして打ち出されている。イベント・タイトルもそうなんだけど「音」にこだわりのある展示も多い。展示場所、テーマ、企業とアート、etc...現代美術のありかたとして規範的イベントと言えるんじゃないだろうか。

たまたまだけどこの日は710.beppoによる鉄板バイブレーションをやってた。鉄板の上でポップコーンの気分になれるので一度体験おすすめ。次回は5月29日にやるらしい。

2005年4月14日

リーバイスのCM

ペトロ三木のブログ『今週の「バカは死ね」/「テレビにゃ出ない系」ミュージシャン』

あまりTV見ないし、このCMも見たこと無いんだが、書いてあることからするに、見たら鼻につくだろう。

音楽・芸術的追求と経済的成功や名声の追求の間の葛藤は(ポップスターから現代美術作家まで含めて)現代に生きる表現者なら(いくつかの極めて幸運な例外を除いて)避けて通ることができないし、死ぬまで悩み抜くべく課せられたアポリアみたいなものである。この2つの「追求」はいつも相矛盾するというものでは無くて方向的に一致する場合も多い。そのことがまた問題を複雑にしている。

しかるに、この問題に対して安直で直裁的な回答が流布される場には「バカ」and/or「不誠実」がつきものである(・・・前述の「極めて幸運な例外」はそもそもこの問題を考える必要も言及する必要も無い)。このCMの場合は「バカ」な消費者に向けて「不誠実」なアーティスト・広告代理店・広告主が発したCMメッセージといったところだろう。あるいは「バカ」な消費者に向けて「不誠実」な広告代理店・広告主が「バカ」なアーティストを使って発したCMメッセージなのかもしれない。あらかじめ「バカ」と想定されていることに気付いた消費者はむかつくべきだろう。

この「不誠実」の内容なのだが、これは未だ一般大衆の間に深く根付いている「近代芸術教」的刷込み(**)に訴えかけようとする企みである。「近代芸術教」においては一方で純粋な音楽・芸術を神聖なものとし、富や名声の追求を俗悪なものとして対置する。素晴らしい作品を残しながら貧困の内に死んだモーツァルトとかゴッホとかは「近代芸術教」における聖人/殉教者である(*)。「リーバイスをはいた降谷健志を聖人(=偉い、カッコいい、cool)に擬してリーバイスを買ってもらおう」というのがこのCMのしくみである(見てないんだがね^^)。モーツァルトやゴッホから降谷健志というのはとてつも無い飛躍に感じられるが、そういうことなのだ。

それにしてもペトロ三木氏の指摘している「FAMOUS」の件はあまりにもベタ、というかベタすぎて何かメタなウラがあるんじゃないかとふと考えてしまう。

*) 誤解の無いように付け加えると、この「近代芸術教」的対立構図を否定することが賢明な態度という訳では無い。そうではなくてこの二項対立を一旦カッコに入れて少し離れた所から眺めてみることが肝要である。



実は広告代理店は「不誠実」では無いという見方もできる。広告代理店の契約相手は広告主であり、商品の売れる広告を作る限り、それは「誠実」で「有能」な広告代理店であるかもしれない。

**) 例発見 => http://www.hatena.ne.jp/1115646852

2005年4月13日

第24回写真ひとつぼ展&鈴木心

今回のひとつぼ展は審査員がいい感じだ。そのせいかどうか鈴木心がグランプリを受賞してしまった。一歩間違うと反感を買ってしまいかねない鈴木流の斜に構えた展示なんだけどね。従順な優等生ぶりっ子が多い工芸大写真学科で彼の「ワル」「テロリスト」なポーズ(<-という言葉にはおれのちょっとした留保が含まれてる訳だが)は光っていた。そして作品からも伺えるけど実は猛烈に勉強してたりして。これからも疾走し続けて欲しい。