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2005年7月30日

SPACEFORCE、New Order

今日の午後は中目黒のSPACEFORCEで友達とお茶した。地下の天井の高い広大なカフェ・スペースはとても気持ちがいい。椅子も20世紀初期風な感じで好み。展示スペースも兼ねていて、今は「LHASA IN EXILE」という写真展をやっている。中央のテーブルの上には写真集や画集が沢山置いてあって自由に閲覧可。友達に貸出すために持って来たロバート・メープルソープ写真集を二人でテーブルで見た。そう、メープルソープの写真集を見れてしまう雰囲気なのだ!とてもいい店だった。

その後は友達にもらった「New Orderサイン会鑑賞券」を手にHMV渋谷店に。昔はBlue Mondayとか大好きだった。正直今のNew Orderに関してはそんなに熱烈なファンというほどでは無いけど、最近の顔見とくか、みたいなノリで。6Fのイベント・スペースにはファンが沢山集まっていた(年齢層意外と低し)。予定の時間に少し遅れて、出てきましたイギリス・オヤジ4人組!こいつらポップ・ミュージシャンとしてはえらくまじめそうなルックスなんだよね。いざ実物見るといろいろ感慨が込上げてきた。

大暴落?

このブログ、数日前に知って、なかなか楽しんだんだけど、中の人が大変な事になってるよ(@o@;;

金融日記: 遺書

「このとき、現代ポートフォリオ理論に基づき、さまざまな性格タイプ、業界、年齢層から構成され、完璧にリスクが分散されていたはずの女性たちがいっせいにリンクし、そして暴落しました。」て面白すぎ。面白すぎてネタかな~と思ってしまうけど、マジだったらまことにご愁傷様です(-人-)

guessとしては、コメントにあった「今日のEntryは、ちょっとblogが広まりすぎて、かつエントリが面倒になってきたKazuさんのblog引退宣言に見えますが・・・」に一票なんだけど。

まあ命まではとられない事を陰ながら祈ってます。

2005年7月28日

インターナショナル

友人Yと原宿のびにまるを再訪。飲んでたらBGMで聞き覚えのあるメロディーの曲がかかった。「なんだっけ、これ?・・・『インターナショナル』?」と呟いたらマスターが「うちのテーマ曲です!」とにこやかに壁に貼ってある楽譜を指差した。その後、クルド語バージョンを含め各国語バージョンのインターナショナルがかかりつづけた。(そのとき英語を話すコケイジャンのグループがいたのだが^^)

べつに共産主義を信奉してないけど、このマスターみたいな人は好きである。

2005年7月22日

『ミリオンダラー・ベイビー』続き(ネタバレ)

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公式サイト

すごくわかり易い映画なのだけど、この映画について語るのは難しいと思った。あらすじを書き出すとなんだか安っぽいメロドラマみたいだ(善玉・悪玉みたいなのも結構はっきりあるしね)。でもこの映画はそうしたものとは対極にあって、プロットを語ることはこの映画を語る事にはならない。人間と人間の絆(あるいはその破綻)、挑戦する事(あるいはしない事)、現実との戦い、宗教、運命、死(この映画の中では尊厳死、つまり選択としての死だった)・・・そうした(そのどれもが万人にとって大切な)諸々のこの映画がテーマとしているであろうことが、演技を含む絶妙なディテールによって重みを持って伝えられてくる。結局、物語は何を語るかでなくてどう語るかが重要だということがよくわかる映画だと思った。

話は変わるけど、最近映画運がいい。まあハズれなさそうなの選んでる訳だが。全部悲劇なんだけどね。

『ミリオンダラー・ベイビー』

もう封切からは随分経ってるけど、品川プリンス・シネマのレイト・ショーで『ミリオンダラー・ベイビー』を観に行った。

エンド・スクロールが始まっても誰も席を立たず、場内は静まり返って、ただテーマ曲だけが流れる・・・そんな映画だった。

プロットは至ってシンプルだけど、力強くて、いろんなものが織り込まれてたな。

また書きます。

2005年7月21日

早朝

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早朝目覚めると、意識が戻るにつれて以前と違った世界に目覚めてしまったか、あるいは自分がすっかり変わってしまったような不安感を覚える。しかし、見えるのはいつもの天井で、おれの体もいつも通り。映画『CUBE』のように目覚めたら立方体の構築物の中にいる訳じゃ無いし、グレゴール・ザムザのように自分が巨大な毒虫になっている訳でもない。でも以前と何かが変わってしまってる。意識がはっきりしてくるにつれ、変わったのは随分前であったことを思い出す。

2005年7月19日

「排卵期の女性は支配的な男性の体臭を好む」

医療関係の研究に従事している女友達が「下の記事を読んで女性の生物学的側面でも探求してください。女なんてこんなもん。あまり夢抱いちゃだめよ」と言ってこんなのを紹介してくれた。まあおれはリチャード・ドーキンスのファンだったりするので、あまり夢抱いてる方じゃ無いと思うよ。

Ovulating women favour dominant men's smell


以下訳(微妙に意訳):

女性がいつ、そして誰と浮気しやすいか、臭いかぎテストによって示唆された。

女性は最も妊娠しやすい時期に長期的なパートナー(=一般的には夫や恋人)を裏切りやすく、またその際、遺伝子的に優れた男性を情事の相手に選ぶ傾向がある。これはチェコの研究グループが行った研究の主張である。彼らは安定的なパートナーのいる女性は社会的に支配的な男性の体臭によって最も興奮し、その傾向は排卵期に最も顕著である事を発見した。

プラハのカレル大学のヤン・ハヴィチェックと彼の同僚は48人の男性に実験に参加してもらい、彼らにアンケートに答えてもらった。このアンケートの意図は参加男性の社会的支配性を評価することであり、「私はパーティーの主役である」といったような質問が含まれている。また研究グループは参加男性たちに腕に木綿布を着用してもらい彼らの汗を採集した。

次に65人の女性被験者がこれら木綿布の匂いをかぎ、その体臭の性的・男性的魅力を採点した。月経周期の中程、すなわち最も妊娠しやすい時期の女性は支配性アンケートで最高スコアをマークした男性の体臭を好む傾向があった。月経周期の他の時期にあたる女性はこうした傾向を示さなかった。

さらにこの現象は長期的なパートナーのいる女性たちにのみ顕著であった、と研究者たちはBiology Letters誌で報告している。

いいとこどり

以上の結果は混合型交配戦略の理論(theory of mixed mating strategies)をサポートする。混合型交配戦略の理論とは女性は異なる時、異なる男性に、異なるものを求めるのだとの主張である。すなわち、メスは子育てに熱心なオスとつがいになることを期待されるが、パートナー以外で、たとえ父親としては不適切であっても優れた遺伝子を提供してくれそうな成功したオスと事に及びがちであるとする。

「他の研究では、女性は妊娠しやすい時期に浮気をしやすい事が示されている」とハヴィチェックは言う。「そうした場合にはより社会的に支配的な男性が好まれるのだと考える」

このアイデアを検証する事は難しい。なぜならば、男性の「品質」は判断しにくいからだ。「顔の彫の深さ」や「対称性」を尺度として使った研究者もいる。

ハヴィチェックと彼のチームは高い支配性スコアは交配相手としての好ましさを示すと主張する。「そうした個体はより高い社会的地位に到達し易い」と彼は言う。「これは優れた遺伝子の品質を反映しているのかもしれない」

この研究で最も議論を呼ぶポイントは「女性は汗の滲みた木綿布の匂いに誘惑される」という主張かもしれない。「女性被験者の中には特定の体臭をセクシーだと感じたが、他方、単に嫌ではない程度という女性もいた」とハヴィチェックは認める。「しかし研究室という環境は不自然であり、より適切な、つまり親密な状況であれば体臭はより好意的に評価されるだろう」

混合型交配戦略てのはつがいで子供を育てる動物の間でよくみられるのだろうか?これはメスにとっての「遺伝子戦略的正しさ」で完全に説明できるよね。良い父親になるオスと長期パートナーになって遺伝子だけ遺伝子的に優れたオスと浮気してGETして、生まれた子供は「良い父親」である長期パートナーといっしょに育てようと言う実にいいとこ取りな戦略な訳です。それで人間の女性にもその傾向が見られるというのが上記研究な訳だけど(上記記事だけみると論理展開に飛躍もあるけどね)、だとすると女性と言うのは本能的なレベルで実に狡猾な生き物であるということになる、と言いたくなってしまうが男性の遺伝子戦略に支配された性行動パターンはご存知の通り(男性の場合は狡猾ってのとはちょっと違う感じだけど)。だからどっちもどっちってことか。

ただ人間には高度に発達した大脳があって文化、理性、社会があるから問題が複雑になって、実社会における行動を遺伝子的戦略だけで説明するのは相当難しい(同性愛者もたくさんいるわけだしね)。それでこの遺伝子的戦略から離れた「ノイズ」の部分で男は女に、女は男に「夢抱いちゃう」わけだな。

2005年7月16日

『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』(ネタバレ)

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15日(金)、ヴァージンシネマズ六本木に『スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐』を観に行った。

思えば最初のスター・ウォーズであるエピソード4が封切られたのはおれが中学生の時の事だった。少年の夢直撃の王道を行く冒険物語と当時としては驚異的なSFXに映画館の中で感じた震えるような興奮は今でも覚えている。その後エピソード5、エピソード6もリアルタイムに体験していった。映画を「リアルタイムに体験する」というのも考えてみれば妙な言い方だが、スター・ウォーズという一種お祭り的な映画シリーズに関しては的を得た表現かも。

16年のブランクの後、再びエピソード1からシリーズが再開された訳だが、前の二作は正直満足のいく出来ではなかった。技術の進歩を反映してSFX・VFXの水準は確かに素晴らしく高かった。ライト・セーバー・バトルも以前のエピソード4~6のそれを遥かに越える迫力のあるものだった。しかし、いかんせん全体として見るとエピソード1はお子様映画のようだったし、エピソード2はたらたらとどこかで見たようなシーンが続いて、まるでできの悪いRPGのようだった。

今回のエピソード3は前評判通り前2作と比べて見違えるような出来だった。単なるSFXアクション・シーンのショー・ケースではない、シリーズの最後を飾るに相応しい内容のある映画だと思う。確かにエピソード1~2の流れをエピソード4に繋げるためのご都合主義的な部分も散見される。突っ込もうと思えば突っ込みどころは満載。しかしこの映画に関してはそれは野暮というものだろう。パルパティーンとジェダイ騎士団の間で揺れ動くアナキンの描写だって芝居としてそれほど上等なものだとも思わない。でもいいのだ。この映画には物語があった。

アナキンの暗黒面への転向、共和制の崩壊、ジェダイの壊滅のながれには、スター・ウォーズ世界の歴史の転換点を感じて思わずこぶしを握りしめた。もはや以前の彼ではなくなったアナキンを前に絶望するパドメ、かつてのパダワンであるアナキンに対して意を決して戦いを挑むオビ=ワン・・・悲劇である。状況を悟り奮闘するヨーダ。そして映画中最大の感銘を受けたのは、オビ=ワンとの戦いに敗れて瀕死の重症を負った後でパルパティーンに救出され、エピソード4~6でお馴染みのダース・ベイダーの姿になって蘇ったアナキンが、パドメが死んだ事を聞かされて嘆き叫ぶシーンである。あの声で、あの姿で、悲痛に愛する女の名を叫ぶダース・ベイダー・・・これは想像していなかった。心を抉られた。

2005年7月14日

村上龍『自殺よりはセックス』

この前『半島を出よ』(上・下)を読了したばかりなのにまた村上龍の本を買ってしまった。

『自殺よりはセックス』

エッセイ選集。本のタイトルが気になって、目次をめくったら「曖昧でない男女関係など、火星に行っても心中の途中でも、ありはしない」ていうエッセイ・タイトルにやられてレジに直行。

あるエッセイより引用:

・・・父性、忘れないでくれ、これは幻想なのだ。強力な制度だが、幻想だ。人間が父親という制度をもつのは、二本足で立ったのと同じくらい重要な、永遠に解けない謎なのだ。 男は、制度的に父親になるしかない。女が他の動物と同じように、生物学的に母親になれるのとは決定的な違いだ。 良い父親になろうと本気で努力する男は、制度にすがるダメな男だ。それを娘は見抜く。娘は(本当は息子も)、良い父親ではなく、良いを望んでいるのだ。

飛ばすね、村上さん。胸がスッとするよ。これはおそらく80年代後半に書かれたものだけど、もしかしたら実は昔一度読んであまり意味がわからず印象にも残らず忘れてたりするかもだけど、あらためて今出会って良かったと思う。

2005年7月12日

『ヒトラー ~最後の12日間~』

渋谷のシネマライズに『ヒトラー ~最後の12日間~』(日本公式サイト)を観に行った。

超オススメです。
でも重いです。ひたすら重い。

以下、ネタバレを含むが、まあ史実なので皆さん周知でしょう。

ヨーロッパの第二次大戦末期、ソ連軍がベルリンへと迫る中、ヒトラーやゲッペルスを初めとするナチス・ドイツの幹部たちやその家族は地下司令部に篭っていた。一方、外ではドイツ軍は殆ど壊滅状態であり、未だに第三帝国の正義を信じる少年や少女を含む一般市民たちが絶望的な防戦に身を挺する。地下司令部のヒトラーは錯乱状態で、無意味な命令を撒き散らし、市民の犠牲は一向に意に介さない。とっくに崩壊した権威にすがり付き、またそのために命を捨てる人々。ヒトラーの命令によって処刑のために寝ている途中で逮捕された将校は、下着姿で軍服を手に持って連行されて行き、道端で銃殺される間際に慌てて軍服を着、「ハイル・ヒトラー!」と叫びながら射殺される。子供に毒を飲ませて殺す母親(ゲッペルス婦人)。

そうした極限状態の諸々が迫真的に描かれている。独裁政治や個人崇拝の恐ろしさがその崩壊の瞬間においてとらえられている。さらに恐ろさを増しているのは、そうした渦中の人々(ヒトラーさえも含めて!)の普通の人としての側面にスポットライトをあてている事だ。狂気の独裁政治が遠いおとぎ話なんかではなく今もおれたちの隣に潜んでいるのかも、と考えさせられる。

変ジャパ

日本のブログ界のTBクイーンこと眞鍋かおりさんのブログにとうとうおれもTBする日が来ましたよ(笑

眞鍋かおりのここだけの話: 彼氏自慢コンテスト

いや、これ読んでちょっと昔の事を思い出しただけなんだが^^

大学生時代のある時期、おれのつき合ってた女の子はおれの行ってた大学の割と近所の女子大に通ってたんだが、彼女は帰国子女だった。

ある日おれの部屋に遊びに来た彼女に、おれはある雑誌の記事を見せた。帰国子女は日本語が不自由って内容のオモシロおかしい記事で、帰国子女の女の子と普通に日本で育った日本人の男の子がデートする事になって、男の子は「じゃあ今日は渋谷界隈にでも行こうか」って誘ったんだけど、女の子は界隈という言葉を知らなくて渋谷にカイワイというデパートだかレストランだかがあってそこに行くものと信じ込んでいた、というような話が紹介されていた。

おれは「これ可笑しいよね^^」って彼女にその記事を見せたら、彼女、

「カイワイって何?」

真顔で聞き返してくれました。

がーん(笑

その後彼女は「杓子定規」も知らない事が・・・てか四字熟語はほぼ全滅であることが判明した(笑

彼女の名誉のために言っとくと、英語はとても上手でしたよ。

時は流れて、おれがある会社に勤めていたとき、就職活動のシーズンが来て学生を何人か面接した。その中のひとりがまた帰国子女の女の子だったんだけど、その学生にとってはおれで同社内何人目かの面接だったので、おれは「うちの会社の人間、印象どうですか?」と質問した。それに対する彼女の答え:

「XX社の人って、皆さん頭がキレてるっていうか・・・」

はあ、おれたちキレてるんですか・・・

それにしても真鍋さんの友達の彼、普通に日本育ちなのにおもしろすぎ。
ちなみにおれの友人の見解によると、この彼はきっとLD(学習障害)だそうです。

2005年7月 9日

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2005年7月 1日

呑2

6/30の夜は友人Yと前から気になってた原宿のベルギー・ビール屋びにまるに初めて行った。お店はビルの地下にあるのだが、入口のところが露天になっていて(店サイトのトップページの写真参照。こういうのよくあるけど、建築用語で何というのだろう?)、意外と開放感がある。お店はカウンター・オンリーだが、鰻の寝床式に奥行きが深く、席数は多い(店サイトによると17席)。おれたちが入店したときはまだ空席がちらほらあったけど、しばらくすると満席になった。アットホームな雰囲気のインテリアとカウンター上の蝋燭とによって、落ち着いた雰囲気で会話とベルギー・ビールを楽しめる。とてもいい店だけど、あえて不満点を挙げるとするならば、サウンドに対するこだわりがあまり感じられなかった。ベルギー・ビールの飲める店は都内に随分増えたけど、選択肢が増えるのは嬉しい。

びにまるを後にタクシーを拾って今度は新宿へ。以前のエントリーでも触れた新宿ゴールデン街のBar Plastic Modelを再訪。またまた80年代ドップリで楽しかった。

それにしても、カウンターにびっしり並べられた80年代モノのドーナツ盤を見て思ったんだけど、80年代当時はファン同士仲悪かったであろうジャンルの曲が仲良く共存してる。当時は何しろ洋楽がエラい時代だった。Yもおれも洋楽中心に聴いてた訳だけど。歌謡曲、というか大半の邦楽は(洋楽と同格と認められる一部例外を除いて)「劣等人種(*)の聴く下らない音楽」(爆笑)として見下してましたよ、ええ(笑

そういえば洋楽の中でもUS派とUK派で仲悪かったねぇ。おれたちはUK派でUSモノは見下してたね(笑 で、そのUKのなかでもスタイル・カウンシルのファン対スパンダー・バレエのファンみたいな内ゲバがあったな(笑

あ、今日は(笑使いすぎだ。



*) これだけ取り出すと実に強烈な言葉である。投稿した後にやっぱまずいかなとか思って(爆笑)とかつけて薄めてみたりもしたけど、それでも強烈。だからやっぱりはっきり断っておかなければならないと思った。おれは昔も今も人種差別とか大嫌いです。ここでも、筆者に人種差別に賛同する意図は一切無く、たんなる表現上のあやとしてこの言葉を使いました。

それから、おれは未だに洋楽好きではあるんだけど、90年代以降音楽性の高い邦楽は激増してると思ってます。