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2005年6月28日

U2が記念品の返還を求めて元スタイリストを訴える

またまた訴訟ネタで速報。

Reuters: U2 sue former stylist for return of souvenirs

ダブリン(ロイター) アイルランドのロックグループU2は元スタイリストから(リード・ボーカル ボノのズボンを含む)5,000ユーロ相当の記念品を取り返すための裁判を始めた。

訴えられた元スタイリストはローラ・キャッシュマンさん。彼女は問題の記念品は自分に贈呈されたとしているが、ボノはキャッシュマンさんの言い分を否定しているとのこと。

U2、ボノともあろうものが数千ドルで訴訟ってセコくねーか、と誰でも思うだろう。元記事でもちょっと匂わせてるけど、なにやら感情的なもつれが背後にありそう。

AMD、インテルを独占禁止法違反で告発

とりあえず速報。

Reuters: AMD files antitrust suit against Intel

以下抜粋

ニューヨーク(ロイター) アドバンスド・マイクロ・デバイセズ(AMD)は火曜日、インテルはx86プロセッサー市場において不法な独占状態にあるとして、同社を独占禁止法違反で告発したと発表した。

AMDによると、インテルの威圧の犠牲になった企業は38社にのぼるという。(略)

「世界中のどこでも、顧客は選択の自由と技術開発の恩恵にあずかる権利がある。しかしこれらは盗まれてしまっている」とAMDの会長、社長、兼Chief ExecutiveのHector Ruizsは語った。

(以下略)


AMDのサイトに日本語のプレスリリースが出てました。(hedgehogの日記: AMD、インテルを米独禁法違反で提訴 を読んで発見) AMD、インテルを米独禁法違反で提訴

2005年6月27日

インターネットと匿名性

実名でのネット活用促す 総務省「悪の温床」化防止

ネットに関わる事だけにすでに大量のブログ記事が書かれているとは思うけど、あまりにも疑問点が多いというか、ツッコミどころ満載なニュースなので、あえて書いてみる。

「匿名性」という言葉を使ってるんだけど、どういうレベルの匿名性の事を言ってるんだろう?例えばネット上の掲示板にある書き込みがあったとする。掲示板の設置されているサーバーには、どういうIPから何年何月何日何時何分何秒に書き込みがあったというログが残っているはずだ。そして書き込んだ人はいずれかのプロバイダーを通して接続したはずだが、この時誰にどういうIPアドレスを割り振ったかはプロバイダーの記録に残っているはずだ。ただし、こういった情報は(プロバイダーなりと利用者の契約の範囲で)通常は公開されることはないから、そのレベルではこの掲示板上の書き込みには匿名性があるといえる。

しかし、これには一定の留保が必要だ。仮にこの書き込みが犯罪捜査の重要なカギになる事を裁判所なりが認めて、しかるべき令状が出れば、プロバイダーや掲示板の管理者から当局に情報が渡されることになるからである。

個人の権利と公共の福祉のトレードオフの観点から、現状に別段の問題があるとはおれには思えない。この現状をどう変えたいのか、この報道からは不明である。もちろん、前出の掲示板の書き込みの例には多くの抜け道がある。日本の当局の力が及ばない(及びにくい)海外のサーバーやプロクシーが絡んでくる場合である。しかし、これらを完全にあるいは50%でも排除するには中華DQN共和国並みの強権的な政策をやらない限り技術的に難しいと思うのだが、日本でまさかそんな事できないだろ。

それからこのニュースでは「匿名性」=悪な印象を受けるんだが、まあ確かに乱用されるケースもあるかもしれないけど、一方で民主主義というのは匿名性によって担保されてる側面がある。投票も匿名だし、匿名で意見を表明できる場っていうのは重要だと思う。それが気軽にできるようになったという点でインターネットの功績は大きい。おれは匿名性の害<<<<<利、だと思う。

「爆弾の作り方」とか自殺サークル云々ていう話もでてるんだが、この辺もよくわからない。先日、山口県で高校生が授業中に教室に爆弾を投げ込んだ。確かにショッキングな事件だけど、たまたま起きた特殊な事件を安直に政策に反映させるべきではない。インターネットは単に知識を与えただけであって、それで実際に爆弾を作って教室で爆発させようと思ったのはこの高校生の精神だ、という事を別にしても、政策ってのはもっとマクロ的・統計的見地で決定されるべき。爆弾の作り方=>悪の温床=>規制、っていう典型的なメディアに踊らされ系愚民的な思考回路で役人が報告書を書いてたんじゃなんだかな。

自殺にしたって、自殺サークルの話はたまに聞くけど、そもそもこの国では年間に交通事故死の三倍の自殺死があるわけで、こっちの統計的レベルの現象を先になんとかしろよ。昔々流行った「パーティーライン」で自殺が減少したって話を聞いたことあるけど、ネット上の匿名のコミュニケーションで自殺を思い留まってるやつだって案外多いかもしれないし。

一方で、話が逸れるけど、国が何かできるとすると、「私は怪しいものではありません」ということをネット上で証明する手段を提供することかな。まあ、民間でもできるかもしれないけど、もしかしたら国がやった方が効率よくできるかもしれないサービスだ。ネットオークション等で大いに使い道がありそうな気がする。

スパム対策

そろそろメールサーバーにスパム対策をしないと。procmailとSpamAssassinを組込みかな。

2005年6月22日

John Kacere

Hugo Strikes Back!: John Kacereを見て、手持ちの本のことを思い出す。

KACERE.jpg
『KACERE BY JOHN KACERE』(芸文社)

下着をまとった女性の、トルソの中ほどから大腿にかけての部分をフォトリアリスティックに描いた作品が延々と一冊分続く。掃いて捨てるほどある上品ぶったいわゆる「エロティック・アート」に分類して忘れてしまわれがちな作風のような気もするが、それにしてはおれ的には妙に引っかかる作品群である。

2005年6月19日

熱烈上海食堂

目白通り、千歳橋のたもとにある「熱烈上海食堂」(東京都豊島区高田2丁目17-16、03-3987-0720)で夕食を取る。今まで昼に有名な坦々麺を食べに行ったことはあるが、夜は事実上これが初めて。料理は和食と中国料理の両方があり、大戦前を意識した内装といい、BGMといい、かつての上海の日本租界をテーマにしているようだ。料理はそうとう美味しかったが6人で腹いっぱい飲んで食って17,000円足らずと値段もリーズナブル。

2005年6月15日

ブログ検閲はバックファイアする

マイクロソフトは、同社が最近中国で立ち上げた「MSNスペース」内のブログサービスに自動検閲機能が組み込まれていることを認めた。

マイクロソフト、中国でブログ検閲に協力

「自由」「人権」「民主主義」といった言葉を含む記事を投稿しようとすると「不適切な表現」を削除するよう促すメッセージが表示されリジェクトされる仕組みになっているらしい。

中国の反民主主義・反人権政策に迎合するマイクロソフトを非難する声も聞かれるが、この検閲機能に関して言えば結果的には中国政府の意図に反する効果をもたらすのではないだろうか?というのはこの方法だと検閲が行われていることが利用者にあからさまにわかってしまうから。それに世界の反中国論者に対する格好の燃料投下になってるし。

同様に検閲体制を敷く他国の場合は、検閲で閲覧できなくしたことを利用者に明らかにするが、中国の場合「タイムアウト」「エラー」など技術的問題を装い、それが検閲による規制だとは利用者には分からないようにしてある。(娘通信♪: 中国、情報統制の実態 その1・・金盾プロジェクト

中国政府がネット検閲に対して上記引用のようなスタンダードを維持しようと考えていたとすれば、それに風穴を開けたことになる。(そんなつもりは無かっとは思うが)あっぱれマイクロソフト!と褒めてあげたい^^

それにしても恐ろしいのは検索エンジンとかルーターに仕組まれる隠密性の高い検閲である。ルーター方式の場合は中国のような「巨大な国家LAN」(メディア探究: ネット検閲がもたらす究極の監視社会)を構築してしまわなければならないので、日本を含め民主主義の進んだ国ではほぼ考えられないけれど、検索エンジンの意図的偏向は他人事では無いね。さらに検索サービスとメールやブログ・サービスが組み合わされる例はよくあるけれど、ちょいちょいとプログラミングすれば(すでに何度も言及されてるけど)地球規模の巨大パノプティコンの出来上がりだ。

2005年6月13日

農民クロマニヨン人対狩人ネアンデルタール人?

ペトロ三木の『アタマのおかしいブログ』6/13の記事聖書再解釈①創世記編/エデンの園やノアの洪水はホントにあった?!で『農業は人類の原罪である』(コリン・タッジ著)という本が紹介されている。「農業=原罪」論は、農業の開始が「冷たい社会」から「熱い社会」への移行の契機であることを考えるとおもしろい視点だとは思う。しかしそれはさておき、この本ちょっとトンデモ本の臭いがするな。例えば思わず突っ込んでしまうのはここ:

ちなみに作者はさらに論を進めて「農民のカインが羊飼いの弟アベルを殺した」って伝説を、農業を始めた「クロマニヨン人」が狩猟採取しかできない「ネアンデルタール人」を絶滅させたって歴史的事実の名残じゃねーかなんて話もしてるのだが、その辺りは考古学的裏付けは取れず定かじゃないみたい。

・・・てとこなんだが、農業の開始は約1万年前。ネアンデルタール人の絶滅は約3万年前とされているので、こうした定説を前提とする限り、農民クロマニヨン人対狩人ネアンデルタール人てのはツジツマが合わない。当時は両方狩人であったはず。

2005年6月 9日

In-between

In-between

EU憲法はコケたけれど(笑)、EUをテーマにした写真集シリーズが発売になる。選ばれた13人の写真家たちはちょっとありえないオールスター。尾仲浩二、野口里佳、etc..大好きな人ばっかりだ。小野博って人は以前東京国立近代美術館で開催された企画展「」で見て以来とても気になってる。

ゲーム仲間を刺殺したオンライン・ゲーマー、死刑判決を免れる

上海のリアルPKerに判決ですよ(||゚Д゚)

Online gamer gets life for cyber-sabre stabbing [Reuters]

[要約]

上海でオンライン・ゲーム上のアイテムであるサーベルを勝手に売却された事に腹を立ててゲーム仲間を刺殺した男が実質的には終身刑である執行猶予付きの死刑判決を受けた。

Qiu Chengwei(41才)とZhu Caoyuan(26才)は共にオンライン・ゲーム"Legend of Mir 3"をプレイする仲間で、共同して「ドラゴン・サーベル」を手に入れた。しかしZhuはQiuに無断でこのサーベルを7,200元(約94,000円)で売却(RMTだね)した。Qiuは警察に行き被害を訴えたが、ゲーム内アイテムは法律で保護される資産に当たらないと告げられた。ZhuはQiuに金を払うと言ったが、逆上したQiuはZhuの家に押し入り胸部を刺して死に至らしめた。

Qiuの刑期は服役態度次第で15年までに縮められる可能性があるという。殺されたZhuの家族は量刑に不満を訴えている。

中国ではゲーム内の武器や貨幣の盗難を法廷に訴えようとするプレイヤーが増えているという。

「手に入れるのに金や時間のかかるゲーム内の鎧や剣は個人の所有物と考えられるべきである」と北京のRenmin大学のWang Zongyu助教授(法学)は語った。

しかし他の専門家は「ある人の『資産』は他の人にとっては何の意味も無いかもしれない。それはゲーム・プロバイダーによってつくられたデータに過ぎないのだから」と注意を促す。

中国の量刑の感覚はよくわからないんだけど、一般に日本より重いはずだし、「死刑を免れる」みたいな書かれ方からすると「ゲーム内アイテムの盗難(横領?)」ということが酌量されたということになるのだろうか?


関連記事発見

2005年6月 8日

AppleがIntel CPU採用へ

おれの部屋には現在WIN箱とLINUX箱が1台づつあって、両方x86っていうかx86_64だ。LINUX箱は最近加わったんだけど、WIN箱(ずっと昔はDOS箱)は大体常に家に一台あった。MACを所有したことは無い。それでもずっと昔から最近まで含めていろいろな機会に外で(時には結構インテンシブに)MACを使うことはあった。

昔は違ったんだけど、ここ数年はMACを触っても特別使いやすいとは感じない。というかあのワンボタン・マウスによってWINより操作性は低い。おれがMACのショートカットをあまり覚えてないせいもあるんだろうけど。もともとMACてのは使い易さが売り物だったはずだけど、すでにWINより優位にあるとは言えない。

グラフィックに関してもかつてWINに対して持っていたアドバンテージはもうない。ColorSyncによるCMSへの対応は早かったけど、今はWINにもICMあるし、そもそもプロフェッショナル用途のCMSはAdobe ACEが主流になってるから、これがWINでもMACでも同様に動く現状ではMACの優位性は無い。

OS9はWINでいえば95、98程度に比肩するOSで、OS Xが出てやっとWIN XPに追いついた感じだ。

後残るMACの魅力というと洗練された筐体デザインくらいか。好き嫌いはあるにせよMACのデザイン水準は未だに高いと思う。といってもこれも怪しくなりつつあって、ここ2~3年市販されるWIN箱用ケースのデザイン水準はかなり向上してきている。

アプリケーション・ソフトにしてもAdobeやMacromediaのソフトはWINでもMACでも同様に動く。QuarkとかFinal Cut ProとかまだMAC版しか無い一部例外を除くとアプリでMACを選ぶ理由も無い。

で、パフォーマンス的なところは正直よくわからないんだが、PowerPCって最初からRISCとして設計されたCPUな訳で、コンパチビリティの重石を引きずってるx86 CPUよりも有利なはず、と素人考えでは思っていた。各社の次世代家庭用ゲーム機にも採用が決まっていて価格性能比的にも悪く無いんじゃないの~?と考えてしまうんだが。量産効果的な面でも家庭用ゲーム機で今後かなり改善されるはずだし。消費電力的な面が挙げられてるけど、それって今後数年のタイムスパンでみてPowerPCに勝算無しなんだろうか?

さらに、まだよくわからないんだけど、Intel CPU採用後は現在のWIN箱との関係はどうするつもりなんだろう?仮に(あまりなさそうだけど)MACがWIN箱完全互換になったとすると、事実上Appleはソフト・メーカーになる訳だね。それはそれですっきりしていいんだけど。

しかしもしもCPUはIntelだけどWIN箱と互換性無しって話だと、それって昔のPC98みたいなものか?コスト的に一般のWIN箱に比べて不利だと思うんだけど。

まあともかく今回のスティーブ・ジョブスの決定は不思議だ。apple社の株も軟調だしね。

2005年6月 7日

アフリカ アフリカ

昨夜は友達と原宿のRestaurant Hannibal Deux (公式サイト, 関連サイト)、でチュニジア料理を食べた。チュニジアといえば北アフリカの国だが、イタリアの領土であるシチリア島から目と鼻の先である。この地にはかつてカルタゴという国があって、古代ローマと地中海の覇権を巡って3次にわたるポエニ戦争(Wikipedia)を戦い、最終的に滅ぼされたんだけど、ハンニバルっていうと第2次ポエニ戦争でローマを苦しめたカルタゴの名将だね。そういえば『パットン大戦車軍団』(goo映画)の中でパットン将軍が「戦場の臭いがする」と古代カルタゴのあった地を訪れるシーンがあったな。

ここで食べたチュニジア料理はパンに塗るスパイシーなペーストやクスクスという料理の形こそ独特だけど、オリーブ・オイルをたっぷり使って地中海料理という枠組みで捕らえるべきものだった。 Chateau Mornagというチュニジアのワインはフルボディの立派な出来だったけど、友達曰く「ちょっとフレンチ・ワインぽすぎ」。チュニジアのワインに詳しいこんなサイトをみつけた。

チュニジア人というと多分イスラム教徒(戒律では酒を飲んではいけない)でワインのよく合うこんな料理を作るのは不思議だと思ったんだけど、友達の説によるとシェフは多分カトリックじゃないかと。で、少数派宗教の信者はこんな風に海外に出てがんばる人が多いと。

店を出た後は寄り道しながら六本木まで移動した。外苑東通りを歩いていたら話しかけてきた流暢に英語をしゃべるギニア人の呼込みのお兄さんと、どういうわけか話し込んだ。最初はサッカーとかボクシングの話だったんだけど、そのうち話題がドリフト。彼は数学が得意でギニアで一番だったとか、ヨーロッパ諸国やアメリカの利権に翻弄されてギニアの政治と経済はうまくいかないとか、友達が時々入れる絶妙な合の手に応えて彼はそんなことをとうとうとまくしたてた。

2005年6月 3日

特許とオープンソース

オープンソースと特許

No Software Patents

日本ではほとんど騒がれてないけど、潜在的には大きな火種らしい。

2005年6月 2日

テンプレ

このブログのテンプレ、Six ApartのサイトからDLしてちょいちょいと手を加えたものだ。いかにもやる気が無い感じが漂ってるよね^^ 何とかしたいです、そのうち・・

2005年6月 1日

『ブラック・レイン』、松田優作、シンディ・シャーマン

blackrain.jpgリドリー・スコットの映画人としてのキャリアは特異である。彼は1979年の『エイリアン』(goo映画)、1982年の『ブレードランナー』(goo映画)という2つの不朽の名作をたて続けに世に送り出し、映画監督としての名声を一旦は確立した後、長い低迷時代に入ってしまい、微妙な作品を撮り続けた。しかし2000年の『ハンニバル』(goo映画)でいきなり復活(*)。同年の『グラディエーター』(goo映画)はアカデミー作品賞に輝いた。2001年の『ブラックホーク・ダウン』(goo映画)も冴えた傑作である(これがリドリー・スコットのこれまでの最高傑作かもしれないとさえ個人的には思っている)。そして今現在は『キングダム・オブ・ヘブン』(goo映画)が大ヒット上映中(これは近日中に観に行きたいと思っている)。

内田樹の研究室: 松田優作と『ひよこどん』

この記事の前半で取り上げられてる『ブラック・レイン』(goo映画)は変な言い方だけどリドリー・スコットの「低迷時代の代表作」である。日本が舞台だし松田優作や高倉健が出演してるから日本では話題になったけれど、よくある「奇妙な果実」系映画で終わっていて駄作である。しかしここで紹介されている松田優作の演技に対する加藤典洋の解釈はおもしろいと思った。まあリドリー・スコットの「公案」に応えてのことだったのかどうかは謎だが。

定型的なふるまいを微妙に過剰にすることによって、その定型を「ナチュラルなもの」として看過している人々の「紋切り型性」=イデオロギー的な被制性を逆照射してみせること。

これはおもしろい視点だ。これを意識的に武器として使いこなして成功した代表例は(映画から離れるが)シンディ・シャーマンの『アンタイトルド・フィルム・スチルズ』(MOMAのページ)だろう。この作品はどこかで見たような映画のワンシーンをシンディ・シャーマン自身が演じた「ニセ・スチル写真」の連作である。この作品の中でシンディ・シャーマンは映画に見られる紋切り型の女性像をやや過剰に自演することによってまさに女性像の「イデオロギー的な被制性」を「逆照射」することに成功した。

仮に、松田優作が『ブラック・レイン』において、シンディ・シャーマンがとったのと同等の戦法によって、何かを表現しようとしたとすると、それはなんだったのだろうか?ハリウッド映画が潜在的(いや顕在的?)に持つ異文化に対する傲慢さかな?だとすると『ブラック・レイン』はそうしたメタ・レベルの批評性が仕組まれた、『エレファント・マン』(goo映画)あたりと並ぶ傑作ということになるけど、残念ながら当時のリドリー・スコットにそんな意図は無く、松田優作のゲリラ活動に終わった(で不発)というのがおれのbet。


*)というのは一般的な世の中の評価に基づいて。実はこの映画、当時相当な話題作であり、しかも好きな監督の作品であるのも関わらず、おれは観てないのだ。なぜかというと、おれはグロがだめなんで食人鬼の話なんか怖くて観れないんですよ^^;; まわりのひとに聞くと、そんなでも無いって言うんで、そのうちDVDで観てみようと思ってます。